山宮のブログ
黒いトラウマ
私が通っていた幼稚園には、園庭に大きな鳥小屋があった。鳥小屋では大小合わせて30羽くらいの鳥を飼育していて、私はその鳥小屋が嫌いだった。他のこどもたちは飼育担当の用務員さんからてのひらに餌をもらい受け、柵の外から小鳥たちに餌を分け与えていた。私は決して用務員のおじいさんには近づかなかった。おじいさん自体が鳥の親分のように私には見えていたからだ。
私は当時、とても内向的だった。実家は小さな商売をしていたので6人家族の家で暮らした。実家が商売をしていると休みが少ないため、自然とひとり遊びを覚えるようになり、大勢で出かけたり、みんなで騒いだりするような遊び方は苦手な傾向になる。私はとても内気な子どもとなり、その内気さはいまだ私の根底にしつこく染みついている。
ある日、幼稚園の授業で鳥小屋に住まう鳥たちの中から1羽を選び、クレヨンでスケッチするというお題が出された。私は絵を描くのが得意ではないが、描くこと自体は好きだったので、その中でも飛び切り色合いが鮮やかなグリーンの鳥をその被写体に選んだ。羽根1本1本を眺めると、同じグリーンに見えていたものが全然違う色彩であることを知った。私は基本的には鳥小屋に近づかず、鳥小屋の近辺にあったのぼり棒である1点を擦りながら、他の擦りともだちと共にサンバルカンごっこに興じていた。内気でませたサンバルカン好きにとって、羽根1本1本の色味が違うという現実は直視できないくらい眩しい衝撃だったのだ。
さて、当時の私はその1本1本を描き分けてやろうという意欲に満ちたこどもだった。いまでは信じられないが。12色のぺんてるくれよんには「みどり」と「きみどり」があり、この2つを駆使して仕上げようと考えた。だが、この2色ではあの鳥のグリーンはとうてい描き切れない。そのため、私は時に青や赤、はだいろやだいだいまで使って彩りをつけはじめた。
なかなかに困難を極める作業で、他のこどもたちが簡単に絵を仕上げていく中、私の作業は遅れに遅れた。そのもたもたした姿を見た当時の担任の先生が、「こんな色の鳥いたかしら?」と私の画を見てぼそっと言い放ったのだ。私はいまでもあの言葉とあの先生を恨んでいる。だいたいが教師というのは、嫌いな教師ほど鮮明に記憶に残るもので、これが生涯わたしたちの人生を圧迫し続けるのだ。
恥辱にまみれた私は、黒のクレヨンを握りしめ、取っ散らかってしまった色の羽根をすべて黒く塗りつぶした。頭の中ではその恥ずかしさを黒く塗りつぶすかのように、矢沢の『黒く塗りつぶせ』がリフレインしていた。
こうして真っ黒になってしまった鳥の画を提出することになったわけだが、鳥小屋には残念ながら真っ黒の鳥はいない。先生から「こんな色の鳥いたかしら?」と、同じ辱めを受けることになり、「ぼくはカラスが好きなので、カラスの絵にしました」と嘘までつかなくてはならなくなった。
私の幼稚園の記憶は、この一件がすべての記憶といっても過言ではない。